『ブラック・ウィドウ』★7

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『ブラック・ウィドウ』を観た。とてもよかったのだけど、考えることはナターシャ・ロマノフというキャラクターについてだ。というのも僕はこの作品を観た前日に『アベンジャーズ エンドゲーム』を見返していたから。

『エンドゲーム』の5年後の世界でナターシャは、わりと駄目になっていた。責務を果たしながらも、どこか自暴自棄になっていた。当たり前だ。サノスの指パッチンによって世界は壊れ、多くの仲間を失った。その時、ナターシャはアベンジャーズの同僚のことを家族と呼んでいた。彼女は天涯孤独の仕事人間。ゆえにそう認識しているのだと思っていた。

しかし時系列的に前となる今作で、彼女の家族の存在が明かされた。そこには一筋縄ではいかない話があるが、とにかく彼女には家族がいた。だがその後の時間軸の『エンドゲーム』でナターシャはアベンジャーズのことを「家族」と呼んだ。そこにはもちろん想像の余地が残されている。『エンドゲーム』の世界において実際の家族は亡くなっていたとかいろいろ解釈はある。

ただむしろあのナターシャの壊れっぷりがまるで我が事のように思えるのだ。仲間を失い、地球が半壊し、友人が復讐に駆られるのを止めることもせず、自分の髪も染め直さない。そういうナターシャが自分はたまらなく好きだった。

そしてその壊れっぷりの原因の一つに、実際の家族がいたかも知れないという想像の余地が、『エンドゲーム』における疑似家族へのズブズブ間とどうにもうまくなじまず、どこかめんどくさい気持ちになっている乗ろう。

その小さな不満とは別に、『ブラック・ウィドウ』における家族に対する距離感も、姉として損している感じもすべてが愛おしくて「ナターシャ最高だなあ」「スカヨハ、いい役に出会えたなあ!」とそんな気持ちになっている。

スカーレット・ヨハンソンは「ロスト・イン・トランスレーション」の頃からのファンだけど、ほんとあなたは人生を生きるのが下手で、それがナターシャと重なってて良かった。ありがとうナターシャ。ありがとうスカーレット・ヨハンソン