小袋成彬『Strides』★8

小袋成彬の3rdアルバム『Strides』を聴いた。最初は困惑のほうが大きかったし、今でも手放しに称賛できるものではないが、気がつけば10回以上このアルバムをリピートしている自分がいる。

ジャンルはR&B。極めて純度の高いR&Bで、例えばロックやフォークの要素は皆無といっていい。1stの『分離派の夏』の頃はまだ手触りのあるエレキギターの音が強かったが、今作はピアノの比重が高く、ジャズの印象が強い。ディアンジェロ、フランク・オーシャン、ライあたりに近いものを感じるが、エフェクトはあまり多用していない。おそらく手法的には10年代以降とあまり変わらないが、ピアノやギター、ベースの音が生寄りのせいかバンド感が強い。その辺の感触が今作では「Rally」と「Parallax」で作詞に参加している宇多田ヒカルの1stに近いと思った。ただ全体的にずっと黒い。音がずっしりとしている。まるでこれが20年代の音だと主張しているかのように。ただ、そのサウンドに乗っかかる小袋自身の歌とコーラスは1stの頃から変わらない。たまらなく繊細で美しい。

その音楽性の下で展開される最初の曲が「Work」だ。

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生きるためには働かなきゃな 君のためにも働かなきゃな

と小袋は歌う。R&Bはリズム・アンド・ブルースであり、ブルースとは黒人霊歌及びワークソングのことだ。まさに「Work」そのものがこの曲では展開される。そこでは育児と仕事に翻弄する母親の姿が歌われる。

育児のかたわら 家以外では笑顔のママは
話半分で会話した頭は 秘密だらけのスマホの中さ
食べ残しをかたして 吸い込んだマリファナ

と赤裸々に描写する。幸い僕の周囲でマリファナに手を染める人はいないが(知らないだけかも)、海外ドラマではわりと見かける光景でもある。小袋自身、もしくは近しい人の体験なのかもしれないし、単なるフィクションかもしれない。ただ、この部分を最初に聴いた時は後ろから鈍器で殴られるような衝撃があった。生ぬるい世界で音楽を聴いてるんじゃないよ、と言われたような気がした。だから最初にこのアルバムを一通り聴いた時はひどく混乱した。

ただアルバム全体としては、基本的には小袋自身が思っていることがそのまま投影された作品集だ。愛、現在、これからについて歌っている。

この俺についてこないか?
まずは小さなストライドで(Strides)

 

いまだって未完成 求めている答えは
答えにならない ゆえにひとりで耐えている(Parallax)

であるからこそ前述の「Work」も小袋自身がその時に思ったことがたまたま社会的だったのだろう。シリアスと言えばシリアスだが、「がんばっていくぞ」くらいの気持ちだったのかもしれない。

アルバムを何度も聴いていると耳が慣れてくる。繰り返し聴けばどんな作品でもそのようになるものだが、このアルバムは繰り返し聴くことに耐えうる作りになっている。特別、歌詞が磨き上げられているわけではないし、敏腕のミュージシャンがサウンドの質を担保しているわけでもない。何より聴いていて気持ちよくなるわけではない。むしろその逆でどんどん暗い気持ちになっていく。まるでマリファナのように僕らが音楽に求める期待を鎮めていく。本当に嫌なやつだ。でもその先には『Strides』以降の世界が存在するように思えるのだ。22年前に宇多田ヒカルがデビュー作を700万枚売り上げて日本において「宇多田ヒカル以降のJ-POP」を確立したように、『Strides』はリスナーの耳を次のステージにに引き上げるのではないか。そのような期待を僕は捨てきれずにいる。