betcover!!『時間』★10

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ここ1ヶ月ほどBetcover!!の3rdアルバム『時間』を繰り返し聴いている。最初は苦手だったけど何度も聴いているうちに好きになってしまった。

betcover!!は1999年生まれの東京都の多摩地区出身のヤナセジロウの音楽プロジェクトだ。今作は一発録りで制作された。サポートメンバーはライブと同様でギターは日高理樹、ベースが吉田隼人、鍵盤が爆弾ジョニーのRomantic、ドラムがNITRODAYの岩方禄郎。昨年まではエイベックスから作品をリリースしていたが、今年に入ってレーベルと事務所から独立し、今作は自主制作になった。アルバムはサブスクで聴ける他、BASEでCDが販売されている。「ひとりでやっているので発送まで10日ほど時間を頂きます」と書かれている。自主制作にもほどがある。

 

一発録りのローファイな仕上がりだが、それぞれの楽器の音が溶け合っている

ジャンル的にはジャズ、ロック、フォーク、サイケデリック、ガレージあたりだが、実際のところはよくわからない。坂本慎太郎踊ってばかりの国、ピアノを弾く時の曽我部恵一、ミッシェル、1998年頃のラルクが個人的に思い浮かんだ。あとはフランク・オーシャン。

全体的にローファイだ。音が良いとはとても言えない。でもそれが欠点にもなっていない。一発録りらしい仕上がりで、それぞれの楽器の音が溶け合っている。きちんとレコーディングした作品はそれぞれの音がクリアになるのが常だが、それとは真逆だ。その中でギターの音が目立つ。ジャズのようにでもゆったりと音を響かせているのが特徴的だ。この辺はジャズ、あとは近年のR&Bに近いものを感じる。おそらく根っこの部分はロックが強い人だと思うのだけど、そういう人がジャズ、R&Bに向き合っているのだと思う。その辺は先日共演したNOT WONKに近い。実は僕が今作を聴こうと思ったきっかけがNOT WONKの加藤修平のツイートだったりする。

曲は抜群に良い。アクの強い最初の2曲で離脱してしまう人もいるだろうが、その後の「あいどる」「回転・天使」「島」は間違いなく名曲だ。後半も「遠い遠い親戚」「piano」「棘を抜いて歩く」もメロディアスで万人に刺さりうる。

 

「まるで時間が止まってしまった」コロナ禍がこのアルバムのはじまりだったのではないか

アルバムのタイトルである『時間』はその中の4曲目の「回転・天使」の

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デパートの屋上
まるで時間が止まってしまった

から取られたのだろう。後半の歌詞を読めば、ラブソング、もしくは過去(想像)の愛を歌っていることがわかる。

しかしむしろ「まるで時間が止まってしまった」がこの曲の最も印象的なフレーズで、かつアルバム制作の根本にあるテーマだったのではないか。MIKIKIに掲載された昨年7月の公開されたインタビューで、彼は

「やることがないし、何もやる気が起きない(笑)」

「僕が音楽業界でいまいちばんチルってますよ」

と話していたが、まさにそのような気怠さがアルバム全体で漂っている。インタビューでは直接的には言及されていないが、時期を考えれば新型コロナウイルスの蔓延であらゆる活動が制限された時期と重なる。僕自身このアルバムを聴いていると昨年のことを思い出していた。

時間が止まったような穏やかな流れは5曲目の「島」で一旦終わる。遠い向こう側の世界で鳴り響くギターを乱暴なドラムがかき消し、僕を現実に連れ戻す。

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僕はいまどこですか
涙に映るあなたの身体を
泳いで渡る魚が溺れた
海は僕のものだと
思っていたよ

まるで神話とかおとぎ話に思えるような歌詞を、これまでで最もロックな音に載せてヤナセジロウは歌い、そして叫ぶ。ここに誰よりもチルっていた彼はいない。映画の主人公みたいに彼は何かを追い求めている。時間はすでに動き始めている。

このアルバムは「時間が止まること/動くこと」がテーマになっている。聴いている側はコロナのことを考えてしまうが、歌詞を読むとコロナのことは一切書かれていない。ひとりの人間の停滞とそれに対するささやかな抵抗が描かれていると思う。

 

結論

音楽の最も大きな役割とは「社会をより良いものにする」とか「日常を彩る」とかそういう縁の下の力持ちになることではなく、音を楽しむことだ。作る人、演奏をする人たちがその音楽を心から楽しみ、それが鳴り響いている時間だけはその音楽に包まれた人たちから嫌なものをすべてを忘れさせ、心から自由にしてあげるのが音楽の最も大きな役割だ。それが最高だ。

今作はコロナ禍を契機に生まれた作品かもしれないが、この音楽を聴いている間だけはそんなことはすべてどうでも良くなる。レーベルや事務所からの独立、バンドメンバーとの関係性の前進、一発録音という方法、そしてヤナセジロウのすばらしいソングライティングがまるで時間が止まったと錯覚させるような魔法を成立させた。2021年にリリースされた作品でありながら2021年を忘れさせるアルバムとしてこれ以上のものはない。僕はいまどこですか?

 

追記

無事に感想を書き上げたので僕はこれからライブ映像を観ます。 

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『LOST JUDGMENT 裁かれざる記憶』★9

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『LOST JUDGMENT 裁かれざる記憶』をクリアした。いろいろ文句はあるけど、本編シナリオについては間違いなく心から「楽しい」と言えるものでした。

プレイ時間は50時間ほど。ただしこれはユースドラマもクリアしての時間なので、本編シナリオだけなら30時間あれば余裕があると思うし、逆にやり込もうと思えば100時間くらいは使っちゃうと思う。

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まず舞台の横浜・伊勢佐木異人町については、『龍が如く7』ではじめて登場したわけだが、『龍7』を未プレイのせいかとても新鮮でとても楽しかった。神室町と比べると道幅が広く明らかに歩きやすい。一方で人口密度が低いからこそスケボーという移動手段が追加されたのだと思うが、これが本当に楽しくて以降のシリーズではデフォルトにしてほしいくらいだった。

またもう一つの舞台となった誠稜高校については、わりと一般的な高校という印象。ただあくまで物語でいじめを取り扱う以上、避けては通れないロケーションで、過不足無く描かれていたと思う。部室が汚いのもよかった。

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舞台が高校、かつ『JUDGE EYES』シリーズという性質上、いじめの問題は避けては通れないわけだが、加害者や先生、もしくは学校側が単純に悪として描かれているわけではないのだが好印象だった。もちろん『LOST JUDGEMENT』はフィクションだし、アクションアドベンチャーゲームという特性上、悪ガキには鉄拳制裁もお見舞いされるのですべてを現実に当てはめて考えることはできないが、それでも「ゲームだからいじめは簡単に解決できる」というもので終わらせていなかったのは良かった。もちろんこれを見て「現実はこんな簡単じゃない」と言いたい人もいると思うが、「解決策を提示してはい終わり」とはならない根深さに向き合っていたのは誠実だった。

主要キャラクターについては被害者、加害者、先生、運営側みんなが悩んでいて、とても考えさせられた。そしてそこから物語は龍が如くスタジオらしくなっていく。

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情報屋の桑名役の山本耕史、そして半グレ集団を束ねる相馬役の玉木宏は文句なしに魅力的だった。詳細は伏せるが、この2人が登場している意義は大いにあったと思う。というかめちゃくちゃかっこよかった。自分がプレイした『龍が如く』のナンバリング1から3と『JUDGE EYES』の中では抜群に合っていたと思う。PS5でプレイしたせいか、顔の表情も以前より豊かでかっこよかった。声の演技については申し分なく、主要キャスト全員がすばらしかった。

 

逆に何が駄目だったのかについても触れておこう。それは明確にユースドラマが良くなかった。「やらないほうが良かった」までは断言できないが、もうちょっとシナリオをどうにか出来たのではないかと思う。

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f:id:pitti2210:20211013120956j:plainこの辺は好みが分かれると思うのであくまで自分は、という話になるが、やはりユースドラマで10カテゴリー用意するのは流石に無理があった。明らかに水増しに思える部活もあったのだが、逆にロボット部編とボクシング編、暴走族編はボリュームがありすぎてしんどかった。ゲーム自体は楽しい部分もあるが、難易度調整が雑で急に難しくなるところは正直やってられない。

またそれらすべてを終えた上で展開されるユースドラマのシナリオが、ちょっと納得がいくものではなかった。これだけの苦労をさせてこの展開かよ……みたいなもので残念だった。ここは明らかに磨きが足りていない。

ただ、それらのマイナスポイントを考慮しても、やはり本編シナリオの出来は滅茶苦茶よくて、それこそ国内他社のRPGを見回しても他の追随を許さないものであるのは間違いない。半グレ、ヤクザといった要素は龍スタジオ特有だけど、そこに高校生といじめを結びつけ、ここまで日本の社会問題をゲームに落とし込んだ作品は自分は他に知らない。この作品を他の国の人がどう思うのかがとても気になる。もしかしたら呆れられるかもしれないけど、大半の人達は共感するのではないだろうか。

加えて龍が如くスタジオらしい、コメディ感溢れたサイドケースが多々用意されているのもすばらしい。これを『龍が如く』シリーズと同時並行で、しかも『JUDGE EYES』から3年で出すのは滅茶苦茶大変だったと思う。年数を考えると本当にありえない仕事っぷりだと思う。

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やはり『JUDGE EYES』からのキャストが多いし、前作の値段もかなり下がっているので、よほどのことがない限り今作から始めるのはおすすめしないが、横浜とか高校が舞台であることが気になる人はこちらからやるのも悪くはないと思う。

『JUDGE EYES』『LOST JUDGMENT』の2作とも傑作たらしめた総合監督の名越さん、本当にお疲れさまでした。とても楽しかったです。そして新生龍が如くスタジオの皆さん、3作目を待ってます。骨太なのを用意してほしいです。ずっと待ちます。

『DUNE/デューン 砂の惑星』★9

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10日ほど前に観た『DUNE/デューン 砂の惑星』について書いてなかったので。僕個人は滅茶苦茶楽しめたけど、タイムラインで賛否が分かれるのはよくわかる。

フランク・ハーバートSF小説デューン』の映画化作品。監督は『ブレードランナー2049』『メッセージ』のドゥニ・ヴィルヌーヴ。主演は『君の名前で僕を呼んで』のティモシー・シャラメ。自分が知る限り、ハリウッドで今一番のイケメン。その他『ミッション・インポッシブル/ローグ・ネイション』のレベッカ・ファーガソン、『スター・ウォーズ』の続三部作のボーを演じたオスカー・アイザック、それからMCUのサノスことジョシュ・ブローリン、『アクアマン』ことジェイソン・モモア、そして『スパイダーマン』のMJことゼンデイヤ、と錚々たるメンツが出ていて、「これでヒットしなきゃもう駄目だろ?」ってくらいキャスティングには力が入っているけど、日本では初登場5位でした!マジで!?

とはいえ全米ではちゃんと1位を獲得したし、ロシア、ベルギー、デンマーク、ドイツ、ノルウェースウェーデンウクライナ、香港、シンガポールといった国ではコロナ禍以降の興行収入記録を更新している。「じゃあなんで日本は?」ってなるわけだけど、個人的には「2部作だということが事前にしっかり告知されていないこと」「全体的にかったるいこと」が原因だったのではないかと思う。

というか「2部作だったら見たか?」と言われると肯定派の自分でさえ観に行くか怪しい。「え、終わらんの?」ってなるし、映画が始まった時に「PART ONE」って表示されて結構びっくりした。後編の予告が流れないのもびっくり。家に帰って後編の制作が決定していないことを知った時はさらにびっくり。その上、微妙な場面で前編が終わる。これは日本人じゃなくても普通にきつい。そしてもう一つの「かったるい」点。まあこれはドゥニ・ヴィルヌーヴの作風なので慣れが必要だし、自分はドゥニ・ヴィルヌーヴの作品を好き嫌いはあれどいくつか観ていたので慣れていたが、そうでない人はきついと思う。

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ただそのようなマイナスポイントがあっても、僕はめちゃくちゃ楽しかったです。基本的に僕は良いお家柄が滅亡する話が(その後の復讐も含め)わりと好きなところがある。そういう状況だからこそ、各キャラクターに充実した見せ場があったし、中でもオスカー・アイザック演じるパパ君の捨て身っぷりは本当にすばらしかった。本当はきつい場面だけど、どう考えても笑える。笑ってはいけないけど、構図とか美術で笑わそうとしている。絶対に笑ってはいけないパパ君。ドゥニ・ヴィルヌーヴの良い意味での性格の悪さが出ていて超良かった。

そして何より最高だったのはレベッカ・ファーガソン演じる母君。母なのに子を千尋の谷に突き落とすし、母なのに逞しいから犠牲にならない。にも関わらず性格的にはわりとビビリ。この母親像は斬新すぎて衝撃だったし、レベッカ・ファーガソンはただでさえきれいのに、衣装が変わる度にわけわからないくらい美しくなるからもう大変!レベッカ・ファーガソンを見るためだけに観に行くの全然有りです。

未来かつ異世界の話なのでSF耐性のない人にはきついかもしれないけど、基本的には戦争して滅亡するだけのシンプルな話なので、大河ドラマとか時代劇のファンでも楽しめると思います。前評判は気にせず、気になった人はレベッカ・ファーガソン様を拝みに行きましょう。損はしないよ!

 

長所

短所

  • 全体的にテンポが冗長
  • 2部作なので終わらない

 

すずきゆきこ『SUZUKI ONLY』★7

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BUGY CRAXONEのすずきゆきこ弾き語り初のワンマンライブをTwitcastingで観た。ソロの弾き語りを観たのは数年前の札幌のイベント以来で、東京で弾き語りをしているのは知っていたけど、配信のおかげで見ることができてうれしかった。ただTwitcastingは遅延やぶつ切りがデフォルトなのでアーカイブなしは厳しいと思う。実際、配信の序盤は見れたものではないので、運営に連絡したら短い期間とはいえアーカイブを公開して貰えて大変助かった。

セットリストは全曲ブージーの楽曲だった。カバーはなし。選曲は普段ブージーではあまりやらないものが中心だったけど、普段からよく演奏する曲もいくつかやっていた。ブージーはロックバンドかつ爆音なので、そのメロディが豊かなところとバンドの演奏が食い合う部分があるのだが、弾き語りではゆきこさんの歌が堪能できるのがよかった。「FAST」「ボクを信じて」「いけないベイビー」「罪のしずく」あたりはいつだって聴きたいし、弾き語りもとてもよかった。

ただ初ワンマンだから致し方ないとは言え、全体的に完成度は低かったと思う。もちろんこれをメインでやっていくつもりがないだろうし、求められたからこそやってるのだと思う。でもこういうものを見せられると、ソロ名義の新曲とか、弾き語り以外の編成も期待してしまうのだ。いや、ブージーが大事なのは理解しているし、生活を犠牲にしてまでやることではないというのは百も承知の上で、ゆきこさん色の強いライブが観たくなる。ブージーとは違うゆきこさんが観てみたいし、このセットリストでやるならブージーのアコースティックセットももっとやって欲しい。あれはレコ発だけではもったいない。

久しぶりにブージー欲が高まったのでさっき『Lesson』を聴きました。やっぱり好きだなあ。

 

バンドver.だけどMVを貼っておきます。

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セットリストは↓

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『燃えよ剣』★8

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2回目のワクチン摂取の前に『燃えよ剣』を観た。今作同様「原作 司馬遼太郎、監督 原田眞人、主演 岡田准一」の組み合わせだった2017年の映画『関ヶ原』とだいたい一緒の印象だったが、新選組という題材のおかげで岡田のアクションの比重が多くとても楽しかった。ただ『関ヶ原』同様、脚本はわかりにくい。

新選組副長である土方歳三を通して新選組の結成、内紛、池田屋事件戊辰戦争等が描かれるのだが、やはり実話をベースにしているのでわかりやすく高揚感を得られるタイプの作品ではないと思う。結成から池田屋事件あたりまでは新選組の見せ場はたっぷりでおもしろいけど、その後はわりと地味だった。

アクションの完成度は直近の『DUNE』や数年前の『スター・ウォーズ』をはるかに上回るすばらしい出来だった。特に岡田准一伊藤英明の殺陣はかなり見ごたえがあり、30年以上前の時代劇全盛の時期が相手にならないくらいかっこいい。『るろうに剣心』以降の時代劇アクションに仕上がっていると思う。ただそれを「かっこいい!最高!」で終わらせる物語になっていないのが問題だと思う。個人から集団の戦いになるにつれて血生臭いものになり、戦闘も大規模だけど地味なものになる。そういう原作だから仕方ないのだけど、個人的には「ずっと個人戦を見せてくれないかな……」と思いながら観ていた。

中盤以降は戦闘が大掛かりになる一方で、柴咲コウが演じるお雪とのラブストーリーの比重が高まっていく。柴咲コウがとても美しく、原田眞人の近年の作品に出演していた吉高由里子有村架純の印象をあっさり抜き去ってしまった。これからは柴咲コウ様とお呼びしなければならない。そして戊辰戦争に突入して物語は終わる。土方歳三の生涯に対する感傷だけが残る。それはそれでいいと思うけど、自分には理解できない領域だった。ラブストーリー要素はおそらくフィクションだからそちらに傾くことはないのはわかっていても、戦争して人生を終わる以外に道は選べなかったのか。『青天を衝け』の高良健吾、もしくは『ゴールデンカムイ』のような道はなかったのか?そんなことに思いを馳せた。

岡田准一柴咲コウは最高だが、脇を固める鈴木亮平伊藤英明、山田涼介もすばらしかった。『銀魂』を読んでいたせいか密偵の山崎役の村本大輔が濃くて笑った。美術も編集のテンポも文句なしにすばらしい。脚本も2時間半の映画としてそれなりにうまくまとまっている。でもこれはドラマシリーズでやるべき作品だったと思う。もったいない。

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小袋成彬『Strides』★8

小袋成彬の3rdアルバム『Strides』を聴いた。最初は困惑のほうが大きかったし、今でも手放しに称賛できるものではないが、気がつけば10回以上このアルバムをリピートしている自分がいる。

ジャンルはR&B。極めて純度の高いR&Bで、例えばロックやフォークの要素は皆無といっていい。1stの『分離派の夏』の頃はまだ手触りのあるエレキギターの音が強かったが、今作はピアノの比重が高く、ジャズの印象が強い。ディアンジェロ、フランク・オーシャン、ライあたりに近いものを感じるが、エフェクトはあまり多用していない。おそらく手法的には10年代以降とあまり変わらないが、ピアノやギター、ベースの音が生寄りのせいかバンド感が強い。その辺の感触が今作では「Rally」と「Parallax」で作詞に参加している宇多田ヒカルの1stに近いと思った。ただ全体的にずっと黒い。音がずっしりとしている。まるでこれが20年代の音だと主張しているかのように。ただ、そのサウンドに乗っかかる小袋自身の歌とコーラスは1stの頃から変わらない。たまらなく繊細で美しい。

その音楽性の下で展開される最初の曲が「Work」だ。

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生きるためには働かなきゃな 君のためにも働かなきゃな

と小袋は歌う。R&Bはリズム・アンド・ブルースであり、ブルースとは黒人霊歌及びワークソングのことだ。まさに「Work」そのものがこの曲では展開される。そこでは育児と仕事に翻弄する母親の姿が歌われる。

育児のかたわら 家以外では笑顔のママは
話半分で会話した頭は 秘密だらけのスマホの中さ
食べ残しをかたして 吸い込んだマリファナ

と赤裸々に描写する。幸い僕の周囲でマリファナに手を染める人はいないが(知らないだけかも)、海外ドラマではわりと見かける光景でもある。小袋自身、もしくは近しい人の体験なのかもしれないし、単なるフィクションかもしれない。ただ、この部分を最初に聴いた時は後ろから鈍器で殴られるような衝撃があった。生ぬるい世界で音楽を聴いてるんじゃないよ、と言われたような気がした。だから最初にこのアルバムを一通り聴いた時はひどく混乱した。

ただアルバム全体としては、基本的には小袋自身が思っていることがそのまま投影された作品集だ。愛、現在、これからについて歌っている。

この俺についてこないか?
まずは小さなストライドで(Strides)

 

いまだって未完成 求めている答えは
答えにならない ゆえにひとりで耐えている(Parallax)

であるからこそ前述の「Work」も小袋自身がその時に思ったことがたまたま社会的だったのだろう。シリアスと言えばシリアスだが、「がんばっていくぞ」くらいの気持ちだったのかもしれない。

アルバムを何度も聴いていると耳が慣れてくる。繰り返し聴けばどんな作品でもそのようになるものだが、このアルバムは繰り返し聴くことに耐えうる作りになっている。特別、歌詞が磨き上げられているわけではないし、敏腕のミュージシャンがサウンドの質を担保しているわけでもない。何より聴いていて気持ちよくなるわけではない。むしろその逆でどんどん暗い気持ちになっていく。まるでマリファナのように僕らが音楽に求める期待を鎮めていく。本当に嫌なやつだ。でもその先には『Strides』以降の世界が存在するように思えるのだ。22年前に宇多田ヒカルがデビュー作を700万枚売り上げて日本において「宇多田ヒカル以降のJ-POP」を確立したように、『Strides』はリスナーの耳を次のステージにに引き上げるのではないか。そのような期待を僕は捨てきれずにいる。

折坂悠太『心理』★7

心理 (初回限定盤)

心理 (初回限定盤)

  • アーティスト:折坂悠太
  • ORISAKAYUTA / Less+ Project
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最近は折坂悠太の3rdアルバム『心理』をよく聴いていた。歌とサウンドの深みは確実に増したものの、驚きは少ないと思った。

ジャンル的にはフォーク、ジャズあたり。個人的に頭をよぎったのはくるり。時期的には『魂のゆくえ』以降で、楽曲単位だと「三日月」「さよならリグレット」「東京レレレのレ」が思い浮かんだ。その頃のくるりはハウス、フォーク、クラシックを経由した上で、肩の力を抜いた音楽を奏でる試みをしていたが、折坂悠太は元々のフォーク、ジャズの要素を煮詰めて二転三転した上で今作のサウンドに到達した印象だ。あの頃のくるりには到達感があったが、いい意味で折坂はまだ発展途上なのだろう。

ただ、サウンドの根っこにあるのは折坂悠太自身の歌であり、彼の歴史が歌を形作っているのだろう。2018年の『平成』より歌とサウンドが混ざりあっているが、一方でまだブレーキを掛けている感じもする。歌とサウンドの比重についてはバンド音楽にとって永遠の課題ではあるが、3年前と比較して着実に前進している。ただこの傾向が続くのかはわからない。むしろこのサウンドの成熟をきっかけに一気に歌の方角に舵を切るような気もする。

折坂悠太の歌を聴いていると、その土着性が不思議に思える。民謡、演歌、昭和歌謡、もしくはただの彼個人の癖なのかはわからないが、最初は西日本の方なのかと思った。しかし調べてみると鳥取県生まれではあるが、千葉県育ちでロシアやイランで過ごしたことがWikipediaに書かれていた。ネットの情報なので実際のところはわからないが、その辺の経験が彼の方向性を決定づけたように思える。

海外に身を置いた時期があるからこそ、日本語に対する意識が強く、故に日本語を発声することで生まれる艶っぽさを自覚的に追求しているのではないか。声質もサウンド星野源と重なる部分が多いにも関わらず印象がずいぶん違うのは、日本語とその響きに対する意識の違いだろう。

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当たり前ではあるが、まだ発達途上に思える。昨年の暮れ頃のtwitterで目にしたライブのリハーサル時に演奏したレディオヘッドの「The National Anthem」から吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」に繋げる荒業の衝撃には及ばない。そこが彼の進むべき道だとは思わない。しかし現状ではまだ足りない。

 

長所

短所

  • 驚きが小さい