『オッドタクシー』★8
3日で完走した。緻密で社会的なシナリオとデフォルメされたかわいらしいキャラクター、そしてクールな音楽に彩られた不思議な世界がとてもよかった。特に最終話前後であらゆるキャラクターの物語が収斂するシナリオは凄かった。
最も優れているものはシナリオだと思う。多くのキャラクターの物語が結末を迎える最終話前後の内容は凄まじかった。ネタバレなので内容は控えるが、そこから逆算した全13話の構成も見事だった。本来の主人公である小戸川以外のキャラを各話の主人公として描くのは、ありふれた手法ではあるけど、それなりにリスクを伴うので制作側も覚悟が必要だったと思う。でもその甲斐はあった。
内容的にはわりと社会派寄りだったと思う。反社会的勢力、YouTuber、M-1、地下アイドル、マッチングアプリ、ソーシャルゲームといったものを扱っていて、主人公の小戸川こそただのタクシーの運転手だけど、わりとリスクを取る人々が数多く登場していた。それらの要素を偏見なく描いているのがよかった。ヤングカルチャーを貶めることを目的に描いているわけではないのがよかった。
そしてそれらをデフォルメされたかわいらしい絵柄で描かれているのも良かった。少し前に板垣巴留の『BEASTERS』を読んだが、同じ獣が擬人化されたキャラクターを扱いながらかなり内容は違っていた。僕自身はどちらも好きなのだが、『BEASTERS』が板垣巴留個人の色合いが強いのに対し、『オッドタクシー』はシナリオや絵柄、そしてそれに合わせたアニメーション、音楽といった各々の要素の相乗効果がすばらしかったと思う。
音楽も良かった。全体的にはPUNPEEを始めとしたラップ界隈のトーンが強かったが、三森すずこのアイドル的なエンディング曲もこの世界を形作る大事な要素になっていたと思う。PUNPEEのオマージュが出てきた時は音楽好きとして少しうれしくなった。
大きな不満はなかったのだけど、敢えて挙げるならもう少し主人公の小戸川とヒロインの白川に冒険させてほしかった。タクシー運転手という設定上、動かしにくいのは理解できるけど、少し大人しすぎたのでは?と思う。
続編が作られるかはわからないけど、あったら個人的にうれしい。とてもいい作品だった。
長所
- 最終話であらゆる物語に決着が付くシナリオは見事
- デフォルメされたかわいらしい絵柄と社会派のシナリオのギャップ
- PUNPEEやVaVaといったラッパー界隈の音楽も世界観に寄与
短所
- 主人公にもう少し冒険させてほしかった
鈴木真海子『ms』★9
鈴木真海子の1stアルバム『ms』をここ2ヶ月くらいずっと聴いてる。とにかく聴いていてラク。ごくごくと水を飲むみたいにずっと聴いていられる。聴き終わると毎回必ずじんわりと感動する。33分で聴き終わるのでまたリピートしてしまう。昨年リリースされたchelmicoの『maze』も名盤だったが、それとは方向が違うものの間違いなく名盤だと思う。
プロデュースはPistachio Studioのryo takahashi。「judenchu」にはロサンゼルスのキーボード奏者Jacob Mann、「山芍薬」はShinobu Achihaが参加しているとのこと。
おそらく『ms』というタイトルは自身のイニシャルから取られているが、実際に歌詞を見ると本当にその時に彼女が思ったことを歌詞にしているように聴こえる。
今日はよくやったな(judenchu)
まだ愛してる(mani)
今日はなにを食べようかな(山芍薬)
疲れたらひとやすみさ(R)
といった言葉が実際並ぶ。自分より10歳近く年の離れた異性がどんなことを思いながら生きているのか伺えるというか、自分と全然変わらないというか、彼女のおっさん属性が高いのかその辺はよくわからないのだが、大人の休息感が出ていて聴いていてラクなのだ。すごくラク。だからリピートしてしまう。
もちろんそれはryo takahashiをはじめとした作り手が優れているからなのだが、ただこれは狙ってできるものでもなくて、制作とタイミングが偶然適合したゆえの産物なのではないかと思う。chelmicoが一旦休むタイミングだった、とか、コロナ禍、とか様々な偶然が重なってこのような作品に仕上がったのではないか。
変な話だが、このアルバムを通して鈴木真海子という人が知れてよかった。chelmicoの時とキャラクターが大きく違うわけではないのだが、Pistachio Studioの面々が優れているのは大前提の上で、鈴木真海子という作家の凄みが出ていると思う。彼女はまるで子供のように平易な言葉に用いながら、それに実感と深みを与えることに長けた稀有なアーティストだと思う。
「山芍薬」「untitled」を聴いていると「ぼくはくま」の宇多田ヒカルが頭をよぎる。
『マスカレード・ナイト』★8
昨日がファイザーワクチン接種の1回目だったのだけど、時間があったので『マスカレード・ナイト』を観た。
前作『マスカレード・ホテル』はPrime Videoで観ていて好きだった。鈴木雅之監督の作品は『王様のレストラン』や『古畑任三郎』『HERO』で慣れ親しんでいるのでもともとタイミングが合えば観たいと思っていた。なので今回タイミングがあってうれしい。そして実際とてもおもしろかった。美術もキャストもほぼ前作からの流用なので目新しさは欠けるが、2時間退屈することなく作品を堪能できた。
警察に都内マンションで起きた殺人事件の犯人が、大みそかにホテルコルテシア・東京で行われる仮面舞踏会に現れるという匿名のFAXが寄せられ、新田刑事が再びホテルに潜入し、コンセルジュの山岸とともに事件の真相に迫る。
シナリオや美術に目新しさはない。良くも悪くも前作そのままだ。それが鈴木雅之監督の作風のせいなのか、原作によるものか、それともホテルの美術に変化を感じないないのかはわからない。目新しさを期待してはいけない。むしろ今作は物語の動向と、数多くの登場人物を映像的に違和感なく描かれていることを楽しむものだ。その点については超一流の作品だ。
木村拓哉と長澤まさみを軸にしながら、キャストそれぞれに出番を配分し、なおかつ印象を残す。全員が同時に動きながら観ているこちら側が混乱しない、その脚本と絵作り、そして編集の巧みさがいかんなく発揮されていたと思う。滅茶苦茶楽しかった。
ただ一つ余計なことを言うなら、登場人物があまり魅力的には見えなかった。木村拓哉も長澤まさみも沢村一樹も麻生久美子も高岡早紀も木村佳乃も渡部篤郎も、基本的にはめちゃくちゃかっこいい人たちなのに、好きになりそうなキャラクターが誰ひとりいない。萌えない。それほどまでにシナリオが今の時代と乖離している。支配人がパワハラまがいの倫理観を平気で口にする。それが少し気になった。
長所
- 多くの登場人物を動かしながら見る側を混乱させないシナリオと映像は見事
- 音楽と一体になったかのような編集は見事
- 原作未読の自分は完全に騙された
短所
- 前作と比べて目新しさはほぼない
- 音楽も美術に感心させられる要素が何一つない
- 一歩間違えればパワハラになりかねない倫理観が平気で覗かせるのでハラハラする
- 木村拓哉も長澤まさみも本人は素敵なのに、キャラクター自体はあまり魅力的ではない
Porter Robinson『Second Sky 2021』★10
Porter Robison主催のフェス「Second Sky」の配信を観た。
Porter Robinsonはジャンルとしてはハウス、EDMの周囲から出てきた人だと思うが、その印象は100%覆された。みんなが踊れる曲も作るがそれだけじゃない。今思っていること、言葉にしたいことをダンスミュージックの枠組みに拘らずに形にする。Calvin Harrissがブラック・ミュージックにアプローチするように、PorterはJ-POP、アニメミュージック、サウンドトラック、アンビエントにアプローチする。様々な音楽の空気をめいいっぱい吸い込み、それを自分の音楽に取り込む。ポップだけどそれだけじゃない。音楽のおもしろい要素を見つけ、それを感覚的に気持ち良いものに仕上げる。彼の音楽を聴いていると、僕ももう一歩踏み出して何か楽しいことがしたくなる。
4月の配信フェス「Secret Sky」のパフォーマンスは凄かった。LEDパネルを背部のみならず床にも敷き詰め、天井からその様子を撮る。演出の次元を確実に1段階押し上げる革新的なものだった。そして今回の「Second Sky」では、その舞台装置をお客さんの前に持っていった。ワクチンの接種証明と72時間以内の陰性証明がそれを可能にした。マスク推奨ではあるが客は歓声を許された。
熱狂的なライブだった。お客さんはみんながPorterの曲を歌い、踊れる曲も耳が楽しい曲も喜び全開で楽しんだ。コロナで離れていたからそうなったのではない。コロナ禍であってもPorterは最高のアルバムを制作し、無観客であっても最高のライブを配信でみんなに届けた。その喜びを分かち合う機会が今回だったのだ。Porterは無観客であろうも最高のライブを画面の向こうの僕らに届け、昨夜の歓声はそれに応えたのだ。
ライブとは何か?無観客で成り立つものなのか?様々な疑問が頭をよぎる2年間だったが、Porterは何も違わないことを証明した。5ヶ月前のパフォーマンスは確かに存在したのだ。僕らはそれに熱狂し、そして昨夜、お客さんがその喜びを直接Porterに伝えた。僕もPorterに最大級の感謝とリスペクトを捧げたい。Porterありがとう。いつかどこかで会えることを願ってる。
Park Hye Jin『Before I Die』★8
Park Hye Jinのアルバム『Before I Die』を聴いた。何を書けばいいのかよくわからない。だけど何度もこのアルバムを聴いている。最近は1日に3回くらいこのアルバムを聴いている。聴けば聴くほどわからなくなる。
凄いアルバム、なのかはわからない。ただこういう人だったんだなあ、と思う。一体僕はこのアルバムを聴いただけで彼女の何がわかったんだ?
彼女はハウスミュージックに慣れ親しみ、それを楽曲にしている。クラブで流す音楽をそのまま録音しているわけではない。クラブで流れる音楽や雰囲気、そしてそこに集まる人、そして自分を音楽にしている。Park Hye Jinが前にリリースしたEPを聴いた時、きわめてハウス色の強い作り手という印象を受けた。しかしそれは半分当たり、半分外れた。彼女はハウスの申し子ではなく、ハウスに多大な影響を受けた上で自分自身の音楽を作り上げる音楽家だった。アルバムを聴いているとハウスのみならず、ヒップホップなどの要素も聴こえてくる。そしてそれは彼女がいわば文化全体から借用したものだ。彼女は文化からパクった素材を自由自在に操り、彼女自身の音楽を作り上げた。
そんなことは世界中どこにいたってできるはずだ。しかし彼女は韓国からロサンゼルスに拠点を移した。Apple Musicに掲載されている本人の楽曲解説を読めば、彼女がどういう心境であったのかを垣間見ることができる。ただ、大事なのは、彼女は自分自身で道を選び、そこにお金と時間を費やして冒険をしたということだ。彼女自身がどれほどの才覚を持った音楽家なのか否かは数年で判明するだろう。でもそんなことはどうでもよくて、彼女が自分自身の道を歩み、そこで吸った空気をそのまま音楽に落とし込んだという事実に、僕はたまらなく嫉妬する。
そんな気持ちにさせられたのは山口一郎以来だ。
FreeTEMPO『Sekai』★8
FreeTEMPOの11年半ぶりのニューアルバム『Sekai』を聴いた。本当にずっとずっと待っていたのだが、その甲斐が完璧に報われる内容だった。そんなことってある?
時が経ちすぎてFreeTEMPOを知らない人もいると思うので軽く説明するが、FreeTEMPOとはアーティスト、DJとして活動した半沢武志のソロユニットだ。2002年にミニアルバム『Love Affair』をリリースし、2010年に活動に一旦の区切りをつけた。主に00年代の国内のハウス、ラウンジあたりで名前が挙がる人で、MONDO GROSSOやFPM、Jazztronik、i-dep等とともにシーンを牽引していた。
僕は2005年にリリースされた『Oriental Quaint』というミニアルバムが好きでよく聴いていた。
ジャンル的にはハウス、クラブミュージック、ラウンジ辺りで1曲目の「A New Field Touch」と2曲目の「Prelude」を聴くとまさに当時のおしゃれな音楽の姿が見えてくると思う。
直接的に繋がりがあるかはわからないが、いわゆる2010年代にシティポップというジャンルがおしゃれな音楽の地位にのし上がったが、その5年前はFreeTEMPOやi-dep、それからSOTTE BOSSEがその地位にいた。
しかし3曲目の「Lightning」は明らかに趣が異なる。YouTubeにはあったので興味がある方は聴いて欲しい。
これはどう考えてもおしゃれな音楽の範疇ではない。そういうカテゴライズに対して明らかに敵意を剥き出しにしている。
このようにFreeTEMPOはハウス、クラブミュージック界隈から出てきた人ではあったのだが、その立ち位置に納得せず、どちらかと言うと生の音、バンドサウンドを志向するようになっていった。
2009年の逆オファー型のトリビュートアルバム『COVERS』や、ラストアルバム『Life』のソングリストを見ればわかるように、FreeTEMPOはシンガーソングライターやバンドの音楽に接近するようになっていった。その頃の音楽も悪くはなかったが、作り手の内部で湧き立つ爆発感を求めるような自分にとっては少々退屈に聴こえた。FreeTEMPO名義での活動は終了し、半沢武志の名前を聞くことはほとんどなくなった。元気でいてほしいと思っていた。
それから11年、まさか新作が届くとは思っていなかった。最初に届けられたのは「Peace」。
テーマが大きすぎて正直少し怖かったが、懐かしいリズムと力強いシンセ音がどうしようもなくあの頃を彷彿させた。まさか待っていたFreeTEMPOが帰ってくるとは夢にも思わなかった。
次に届けられたのはYUKINAを迎えて作られた「Feel Free」。
まさかのダンスミュージック。パーカッションの使い方が00年代のハウスで、ギターの使い方があの頃のFreeTEMPO。だけどシンセの使い方が明らかに10年代以降の雰囲気だった。思い浮かぶのはサカナクションとDaft Punk。「音楽を聴いていたんだ」とうれしくなった。
そして昨日ついに11年ぶりのニューアルバム『Sekai』を聴くことができた。「Spark」の爆発感に泣いた。どう考えても新境地だ。その中で「SkyHigh」と歌っている。それだけで涙腺が崩壊する。「未完成」「Feel Free」とテンションの高いナンバーが続く。「無重力の涙」はまるでラウンジミュージックがポストロックに接近したかのよう。「哀しみのCoda」はオザケンの「今夜はブギー・バック」のようなディスコ感で、しかもラップまでぶっこんでいる。タイトルがダサすぎる「芸術Explosion」だが、まさにタイトル通りとしか言いようがない。ダンスミュージックがフュージョンをやっているみたいだ。
そこから先はミズノマリ、コトリンゴ、アン・サリーを迎えた楽曲が続く。『Life』の時期を彷彿させるが、考えてみればFreeTEMPOはずっとそうだった。カテゴライズしようとすると必ずそこから抜け出そうとする。本人がその動きに苛立ってそうするのか、ただ単に何でもやりたがるのかはわからない。英詞専門なのかと思っていたら日本で歌いだしたりする。ただこのアルバムを聴けばFreeTEMPOという人がやりたかったことがある程度わかるはずだ。
『Sekai』は明らかに現時点における最高傑作だと思う。ダンスミュージックとしての初期衝動も、ソングライターとしてのポテンシャルも11年前とは比較にならないほどに滾っている。
彼がいなくなってから中田ヤスタカがプロデューサーとして頭角を現し、tofubeatsが一つの時代を築いた。その頃、彼はいなかった。Daft Punkがダンスミュージックから遠く離れたアルバムを作って活動を終わらせ、大沢伸一がMONDO GROSSOを再開した。あの頃の音楽はもうどこにもない。だけどそれ以上のものがここにある。これほど幸せなことはない。ありがとうFreeTEMPO。そしておかえりなさい。CD、注文したよ。土曜日にボーナストラックを聴くのが楽しみ。